電車の中でスマホに熱中していて、ふと顔を上げたら、周りの人もほとんどがそうだったなんて今やありふれた風景です。わたしが長女を出産した三十年以上前には、赤ちゃんの目をみつめながら授乳する時間を至福の時と感じましたが、今は赤ちゃんの目をみつめるかわりにスマホの画面をみていることもあるとか。 こんなことをいうと「今の若い者は…」と若者批判をする意地悪婆さんになったようで、わたしの美学が許さないけれど、言いたいのはそんなことではありません。
ネットというのは自分から情報を取りに行くメディアです。つまり、多くの人が電車の中という空間を共有していながら、違う現実を見ているということ。それぞれに見たいものだけを見、目の前のリアルな世界で何が起こっているかについての関心がどんどん希薄になっているのだとしたら怖いことではないでしょうか。それは、二日前のブログの「多様性を認めない社会の病理」にも通じる気がしてなりません。なぜなら、聞きたくない声には耳を貸さない排除の論理と背中合わせで、経験を共有できないということは、力を結集できないということだから。
今、心療内科や精神科が大盛況で、診てもらえるまで3か月待ちということも少なくないといいます。多くの人が生き辛さを抱えながらも政治的な判断を誤るのは、どうやら経験を共有できない時代と無関係ではなさそうだと、そんな気がしています。
障害年金は、現役世代の方も受け取ることができる年金です。あなたのお困りごとを聞かせてください。
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