私の住む高松からみれば福島はずいぶん遠いです。そして、あれから(2011.3.11から)もうすぐ9年と時間的にもずいぶん遠ざかってしまった気がします。そんな福島の、あの原発事故を題材にした朗読劇「線量計が鳴る 元・原発技師のモノローグ」を観てきました。
遠いといっても、 私にとって 決して無関係だったわけではありません。 それでも、9年もたてば事故の記憶が自分の中で風化している現実を否定することはできないと思います。 それが今日、この朗読劇に行って改めて、その怖さを皮膚感覚として実感してきました。あの被災地で何が起きたか、ではなく、人々がどう扱われたかを通じてです。
三十代後半頃、当時、茨城県で原子力関係の仕事をしていた知人から聞いた言葉を思い出しました。「原子力をめぐって、このままいけば大変なことが起きると知りつつ、それを口にできないジレンマに耐えられない」と、確かそういった意味の内容だったと思います。
中央構造線の南北に位置する川内、伊方の原発。そのいずれかが震源地になれば、日本全土がまるごと汚染されて私たちは行き場を失いシベリア等へ逃れるしかなくなるといいます。そうなったとき、国は守ってはくれないのだということが、今日の朗読劇ではっきりわかりました。かつて、満州で開拓移民が置き去りにされたように。
そうなる前に声をあげましょう。そうなる前に政治を変えましょう。 朗読は、 今月80歳になったという中村敦夫さんでした。 公憤と義憤に突き動かされて全国行脚の途中です。「右向けって言われたから右向く。左って言われたら左。死ねって言われたら死ぬ。オレはもうそんな日本人にはなりたくねえ! 」
(台本より)