昨日は 、朝起きたらできるだけ素早く外へ出て朝日を浴びながら散歩をする。そのときに「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」…と唱えながら歩くといい、というお話をしました。人が人生のコントロールを失いそうになったときの、これが私なりの最強の対応策です。
現代は、仏教の教えでいうところの「末法五濁(まっぽうごじょく)の世」。お釈迦様が生きておいでだった時代から遠く隔たってしまった今の世の中では、邪悪な考え方がはびこり、欲望が深まります。そして何よりも、本来の人間らしさが劣化してしまっているといわれています。
キリスト教やイスラム教と違って仏教には唯一絶対の神はいません。「仏法僧」の「仏」とは「目覚めた人」のことで人間です。しかし、我々あさはかな人間は自らの力で仏になることはできません。そんな人間を、それでも、一人残さず救うというのが阿弥陀仏の願いであり、そのためにお与えくださっているのが南無阿弥陀仏です。
脳科学の世界では 脳(大脳の旧皮質)は、 現実とイメージを区別できないといいます。そこで「南無阿弥陀仏」と唱えることは、阿弥陀仏をイメージすることで、脳は、阿弥陀仏と自分の区別がつかないので、自分が阿弥陀仏だと錯覚する。つまり、阿弥陀仏と同一化するというメカニズムです。
「南無阿弥陀仏」と唱えるのは「仏」=「目覚めた人」になるためです。新型コロナウイルスの感染拡大とともに、得体のしれない不安がひろがる今こそ、我々のひとりひとりが「目覚めた人」となって人生のコントロールを取り戻しましょう。 そのために、まずは念仏しながら歩いてみてはいかがでしょうか。