産直朝市のレジに並んでいると、若い女性が笑顔で声をかけてきました。「すみません、順番をかわってもらえませんか。」午前9時から仕事で、今、ダッシュしないと間に合わないというのです。もちろん、わたしも笑顔で応じて「いってらっしゃい」と見送りましたが、もし、わたしに時間的、気持ち的な余裕がなかったとしたらどうだったでしょう。
そういえば、銀行の待合室でくしゃみをしたら、一斉に冷たい視線で睨まれた、なんて話を近頃では、ちらほら耳にするようになりました。みんな、不安や恐れを抱えながらもやっとの思いで暮らしている表れなのかもしれませんね。こういうときにこそ、国民の恐怖と欠乏を解消、軽減するのが国家の役割だと思います。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する(日本国憲法前文)。」わが日本国憲法は健在です。しかし今日、成立といわれる新型インフル特措法は「緊急事態宣言」を盛り込むために改正されるのであって、国民に安寧をもたらすためではないと思います。
この改正案の効力が発生すれば、ほどなく緊急事態宣言が発令されることになるでしょう。全国一斉休校の要請に対し、今なら独自判断の余地がありますが、緊急事態宣言が発令されればそれはなくなります。やがて、我々は権利を奪われることに慣れて「緊急事態」という言葉自体にも慣れてくる。それが一番怖いです。コロナと不況で人々が混乱している矢先だからこそ、次に本丸の憲法改正がやってくるのは自明のことだと思います。
そこで、背に腹は代えられないとばかりに、まんまとナチスの轍を踏んで絶滅するのか、それとも、国境を越えて人と人が手をつなぎ、全く新しい次元へと進化することができるのか。平和ボケといわれてきた日本人が、今こそ試されているのではないでしょうか。国に依存しても、国は守ってはくれません。国に立憲主義を守らせるしかないと思います。わが日本国憲法は「全世界の国民が…」といっているのですから。