「親鸞は弟子一人(いちにん)ももたずさふらふ」。 この言葉は、しんらんさまと長年寝食をともにした唯円が歎異抄に書き記したもので、しんらんさまの教えを正確に後世へ伝えようとしたものです。
歎異抄は、あの司馬遼太郎が、第二次大戦で招集されたときに戦地に持って行って、暇さえあれば読んでいたといいますが、戦地に散った兵士の傍らに歎異抄があったという話は枚挙にいとまがありません。
歎異抄について司馬は語っています。「読んでみると真実のにおいがする」と。では、弟子一人ももたずさふらふとはどういうことでしょうか。鎌倉以前の仏教は、貴族など一部の特権階級のものでした。そもそも、庶民には難しすぎてわからなかったうえ、難行苦行によるほか救いの道はなかったのです。
しんらんさまの教えはそうではありません。南無阿弥陀仏と唱えれば、特別な能力や地位がなくても誰でも救われるというものです。あみださまのお救いは、南無阿弥陀仏と唱えることで一人ひとりが直接いただくギフトであって、しんらんのものではありませんよ。しんらんだって、あみださまから平等にギフトを賜る、みなさんのお仲間ですと仰っているのです。つづきは、また明日。