大切な人が(新型コロナウイルス感染症のため)入院中の病院で、今朝も看護師さんとお話してきました。行っても会えないことは承知していますが、細やかな品を持参しては、二日に一度容体を確認するのが今では日課になってきています。
大切な人は、わたしが郷里をあとにするまえの、十代の頃の難しい時期を支えてくれた、いわば恩人のような方。郷里を離れている何十年はほとんど交流が途絶えていたにもかかわらず、一昨年Uターンしてからというもの、何十年のブランクがなかったかのようでした。病棟の看護師さんと話し終わると、必ずわたしは伝言をお願いします。「ノリコが来たと伝えてください。そういえば、わかりますから」。
「真っ暗な海で漂っているよう」と形容していたわたしの少女時代。大切な人は、既に亡くなったお連れ合いと共に、わたしにとっての「灯台」のようでした。会わせてもらえないとわかっていながら、何でわたしは今日も病院へ向かうのだろうと、今朝はふと考えました。ノリコが来ていると伝えることで、今度はわたしが、灯台の役割を果たせたらと無意識に願っているのかもしれません。