昨日のブログでは、 一寸先も見えない時代には「逆算」という言葉もにわかに意味を失うと書きました。でも、昨日の「未明のひらめき」は、そういうことではなかった気がしています。
確かに今、わたしたちは、来月、つまり明日からはじまる一か月のことも見通せない今日を生きています。多くの人が「喉元を過ぎた」と感じているかもしれないコロナひとつをとっても、PCR検査で陰性、血液検査で陽性の人は感染者としてカウントされない現実があるといいます。
ということは、何が真実かわからない、昨日の繰り返しになりますが、 いったい何をよすがに生きればいいのかわからないということ。ゆうべは、この段階でギブアップ。 「未明のひらめき」 は何だったのかともやもやしてしまいました。
本当に言いたかったのは、そんな状況の中でも具体的にできることはあるということ。たとえば、今の不安に絡めとられてお酒など依存性のある何かに逃げてしまったとしたら、それは一時的な快楽と引きかえに未来を犠牲にすることかも。
一寸先が見通せない時代に、5年後、10年後をイメージするのは難しいけれど、どんな状況が待っていようとも、可能な限りベストなコンディションでその日を迎える準備なら、今の時間を大切にするのと同時進行で未来の時間を大切にできるかもしれない。それが昨日の「未明のひらめき」だった気がします。