たとえば、自分がDVを受けていたとき、なぜ逃げないのか、なぜ別れないのか、と何度言われたかわかりません。実際、決死の覚悟で逃げ出しても、気が付けば結局は、元のさやにおさまってしまう。今になって思えば、気が遠くなるほどの時間を、そんな繰り返しに費やした気がします。それでもサヴァイヴできた自分は幸せで、それがDVだと気づかないまま、或いは認めようとしないまま一生虐待結婚に甘んじる(主に)女性は、世界中にあまたいると思います。
程度の差こそあれ、小池百合子さんや吉村洋文さんを支持する人たちをみていると、虐待結婚に甘んじる(主に)妻か、ブラック企業で「おまえの代りなんていくらでもいるんだぜ」とパワハラされた挙句に過労死に追い込まれる労働者と重なってみえてしまうのはわたしだけでしょうか。前者も後者も、生きていかなければなりませんから、そうそう安易に離婚したり、退職したりはできません。現にわたしもそうでした。
仮に、DV夫やブラック企業とおさらばできたとしても、巡り巡って同じようなお相手やさらに酷いブラック企業を選んでしまうというのもよく聞く話。「コロナ禍」は、社会の分断や新自由主義の破綻をより鮮明に浮かび上がらせたのだから、よりよい社会をのぞむのならば、それとは真逆の方向へ進まなければならないはず。それなのに、本質的にベクトルがそっちの方へ向いている人を選んでどうするのでしょうと、老婆心ながら、そういわずにいられないのです。