昨日お話ししたとおり、明日は75年目の高松空襲の日です。その日未明、雨しぶきのように空から焼夷弾が降ってきて、西へ、東へ逃げ惑う人で街はあっという間に阿鼻叫喚の巷と化しました。そんな中、母親とはぐれてしまった当時9歳のSさんは、家に教科書を取りに帰ろうとして、強烈な白光に包まれ、頭に一撃を受けてその場に倒れたのだそう。「ナパーム弾」でした。顔には油のゼリーがべっとりと付着し、バリバリと燃える。
あわてて顔を覆うとてのひらにゼリーが付いてまた燃える。泣き叫びながら地面を転げまわっている上からも容赦なく火の玉が降ってくる。そのとき、見知らぬ男性がSさんを防火水槽へしずめて火を消し、さらにバケツで水をかけてくれたおかげで命を落とさずに済んだのだとか。その後、這うようにして八幡宮の境内へたどり着き、気を失っていたSさん。とおりかかった警防団は、Sさんを見て「もう、死ぬだろう」とそのまま放置して立ち去ったといいます。
ナパーム弾には、油のゼリーが詰まっていて、人体や木材にくっつくと、その親油性のために落ちず、水をかけても通常消すことができないそう。国は、そのことを重々知りつつ、空襲に遭っても逃げずに消火しろと、法律まで作って民衆に強制したといいますから、ゾッとします。しかし、もっとゾッとするのは、それが75年も前の、とうの昔に終わったことではないということ。
「自粛」から「自衛」へとか、コロナの新指標に数値基準なしというのは、正しい情報を伝える気もなければ、ましてや民衆を守る気などさらさらないということで、75年前と何も変わっていないなんて、もううんざりだと思いませんか。敗戦から75年もたって、やっと、そのうんざりとおさらばできるかどうかの闘いが、明後日に迫る東京都知事選挙で、影響は全国に及びます。八幡宮の境内でSさんを見捨てた警防団。今のままではこの先も、医療崩壊が起きればそうしたことは普通に起こり得るのです。