7月4日。今日は高松空襲の日です。二日連続でそのことについて書いたら、亡き父を思い出しました。3年前に亡くなったわたしの父は、実はそのさらに3年前の2014年、隠居生活を送っていた家の隣家が全焼するという経験をしています。当時県外にいたわたしは、あとになってそのことを知りましたが、少なくとも2010年ごろまではピースボートに乗るなど、世界を駆け巡っていた父の老衰が、その火災を機ににわかに進んでしまった印象です。
火事は、父が在宅の際に発生しました。幸い類焼は回避できたものの、それでも相当怖い思いをしたでしょうから、高齢になってそうした経験をすると、ショックのあまり、一気にもうろくしてしまうのかな、くらいに思っていたのです。でも、昨日、一昨日とブログを書いていくうち、本当にそうだろうかと思うようになりました。もしかしたら、父にとって、2014年の火事は高松空襲の記憶を呼び起こすものではなかったのかと。
いまとなっては、想像でしかありません。ただ、一昨日のブログに書いたとおり、高松空襲を潜り抜けながらも「犠牲になった人を一人も見なかった」という父は、ひょっとすると悲惨な体験を記憶の中から消し去ることで生きてきたのかもしれない。それなのに、晩年になって遭遇した火災がパンドラの箱を開けたのだとしたら?そう思うと、なんでもっと早く、父が生きている間に郷里に戻らなかったのかと悔やまれてなりません。大勢いる兄弟の中でも、唯一父は、わたしを頼りにしていたというのに。
遺影を前に謝っても、父は黙って微笑むばかり。お父さん、いま、法子は、あなたが親しんだであろう景色に抱かれるように、この街で生きています。明日は、妹たちが暮らす東京の知事選挙。お父さんも含め、人命軽視のこの国の政治に泣かされた人はあまたいるけれど、そんな政治を終わらせようと本気でのぞむ候補者がやっと現れて、もしかしたら明日から歴史が塗り替わるかもしれない。お父さんは見ることが叶わなかったけれど、代わりにわたしがしっかりと見届けます。