インドのコロナ感染が累計で100万人を突破したと聞いて、さっそく友だちにお見舞いLINEをしました。 娘より若いわたしの親友。3年前の21歳のときには既に院生で、その後、 日本の大企業に、 日本人の正社員と同じ待遇で就職が決まっていたのにコロナで流れてしまったインド人女性です。 彼女の暮らす南インドの都市は、今、2度目のロックダウンが始まっていて、医療崩壊も時間の問題。 彼女自身、薬ができるまで家から出られないといっています。
日本では「失われた20年」とか「失われた30年」という就職氷河期があって、安定した職に就くことができなかった人などを「ロストジェネレーション=ロスジェネ」と呼ぶことがあります。よく「誤った経済政策の犠牲になった」という枕詞とともに 語られる「ロスジェネ」ですが、彼女のように疫病によって、社会人人生の出鼻をくじかれた世代を形容する新しい言葉が、後からできあがるのかもしれません。
それでも、彼女のような人は幸せで、憲法で禁止されているとはいえ、いまだにカースト制度に則っているインドは、13億の人口の10%が富の約8割を独占しているそう。モディさんがいきなり決めた最初のロックダウンでは、工場や商店が閉鎖され、行き場を失った出稼ぎ労働者が大挙して、鉄道もバスも動かない中、800㎞という信じられない距離をそれぞれ歩いて故郷をめざしたのだとか。これにより、医療の行き届かない農村部にも感染が拡大しました。そんな中、ワクチン争奪戦は既に激化していて「我々の優先順位は明らかだ。まずは米国人を助け、余剰が出れば世界に回す」という米政府高官の言葉 が報じられています。
わたしには「お金のある国の、お金のある人から順番に助かる」ことを意味し「貧乏な国の貧乏人は諦めてくれ」といれていると聞こえます。もし、そうだとしたら、これが「命の選別」でなくて何でしょう。新型コロナの襲来とともに、好むと好まざるとに関わらず、既にこういった考え方が一世を風靡する時代が到来してしまっているのだとしたら、議論の入り口で足踏みしている暇はなく、一人も取り残さないために何が必要かを念頭に、議論から逃げない態度が、わたしたちの国でも待たれているのではないでしょうか。