インターネットラジオから聞こえてくる蝉しぐれが、窓の外から聞こえるそれと重なって、75年前の広島を偲ばせます。現地の記者たちの中には、毎年、この日を寝ずの取材で迎える人も少なくないかもしれません。今年は、コロナで各国やEUの代表者以外は外国からの参列者も少ないでしょうが、例年なら式典が始まるころには、会場周辺は、かなりの「密」で、ご遺族の方々などの多くは未明のうちに慰霊に訪れるからです。
「原爆の子」のモデルとなった佐々木禎子さんと同い年という男性に、かつて広島で会ったことがありました。彼と禎子さんの共通点は2歳で被爆したこと。そのとき爆心地から1.7㎞の自宅にいたこと。そして、黒い雨にも打たれていることです。一方、違っているのは、彼女が12歳9か月で亡くなったのに対し、少なくともわたしがお会いしたとき、彼は既に70歳前後だったこと。ご本人は、この違いについて、次のように分析していました。
被爆の際、爆風でかまどの中に飛ばされたと同時に大なべのふたが被さるという偶然が重なって自分は守られたのだと。生き延びた者の使命として核廃絶の運動に一生をかけてこられた方でした。今年の子ども代表は、式典で「当たり前の日常が当たり前ではないことを、今年のコロナで知った」と述べています。「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれている慰霊碑の前で、今年も総理は空虚な御託を並べます。広島出身でありながら、核兵器禁止条約に批准しようとしない自民党、政調会長も総理も、当たり前の日常が当たり前ではないという、小学生でもわかる事実を知らないようでは、夥しい数の犠牲者も安らかに眠ってなどいられないのではないでしょうか。