「お金持ちになって、生活をアウトソーシングしても何も幸福度は上がらない」。YouTube動画でそんな話を耳にして、心からその通りだと思いました。「いくらお金を稼いでも自分の便所は自分で掃除する(原文ママ)」「自分のふとんは自分でたたむ」「自分のごはんは自分で片付ける」「生活を疎かにすると不幸度が増す」「でも、お金を稼ぐと刺激は増えて、ごまかしはできるようになる」(一月万冊より)。
わたしが在職中だった小泉政権の頃、ある先輩がこんなことをつぶやきました。「何もかもが慌ただしすぎて、大切なものがボロボロ零れ落ちていっている気がする」。これは、彼女に限らず、多くの職員の心境をまさに代弁するものでした。あれから十数年。政権が代わっても世の中は荒みゆくばかり。十数歳年を重ねたわたしは、当時に比べれば、日々の暮らしを楽しめるようにはなったものの、いま何が起きているかを追えば、心底楽しいというわけにはいきません。
朝の連続テレビ小説(NHK )のモチーフになった花山伊佐次は、こう語っています。「ぼくらに、守るに足る幸せな暮らしがあれば、戦争は二度と起こらないはずだ」と。そして、いま冒頭の話と花山の言葉が、わたしの中でシンクロしています。「何もかもが慌ただしすぎる」毎日を送っていると、手間ひまかけて料理をしたり、ましてや玄関先の公道に生えた雑草をきれいにしようとは思えないでしょうし、実際やってみたら怒りがこみあげてくるかもしれません。
社会の中の多くの暮らしが疎かになるとき、きっと、戦争やそれに匹敵するような災厄がやってくることを花山は体験的に学んでいたのでしょう。たとえ家族がいなくても、自分のために時間をかけて料理をしたり、家の中だけではなく、周辺の草引きが進んでできるようになれたとしたら、幸せな気持ちになるばかりか「考える」ことができるようになるのかも。それができれば、いるものといらないものを分けることができて、今自分が何をなすべきか、何をやらないべきかに気付けるようになれる気がします。