熱帯夜が続いています。エアコンのお世話にならなければ夜も眠れないほどの暑さ。もし、こんなとき、停電にでもなってしまったらと思うと、それだけでも不安なのに、コロナのずっと前から経済的理由でそれが使えないという話はいくらでもありました。いまや、私たちはエアコンという生命維持装置の装着なしには、夏を乗り切ることさえできない事態に陥ってしまっているのでしょうが、経済格差によってその恩恵に不平等があるとすれば、 人工心肺装置 ECMO(エクモ)以前に「命の選別」は既に始まっていたことになります。
如何ともし難い不条理を前に、これまでわたしは「自分の頭で考えよう」「声をあげよう」「投票行動に結び付けよう」と連呼してきました。基本的にそのスタンスは変わりませんが、今となってはそれだけでは間に合わない気がしています。エコノミストの藻谷浩介さんは、もうずいぶん早くから著書「里山資本主義」の中でお金に依存しない経済システムの可能性を語っているし、東大の安富歩さんは「120㎏のお米は約36,000円で買える」「一か月分の給料で10年分の米が買えるのに、食うために働くっておかしいやろ」と言っています。
言われてみれば、わたし自身、郷里にUターンしてずいぶん気持ちに余裕が生まれました。経済的にしろ、時間的にしろ、気持ちの面にしろ、余裕を失うと選択肢が限られてくるものですが、とはいえ、頭を切り替えれば案外容易に活路は開けてくるのかも。都心のテナントビルの契約解除が相次ぎ、街は失業者であふれ、23区内の公園では野宿者の数が目に見えて増えてきたといいます。野宿する人たちは、田舎に帰る交通費が工面できないのでしょうし、今はコロナで難しい面もあると思います。でも、NPOなど支援機関につながればその点も一緒に考えてくれるはずなので、あなたから身ぐるみはいだ都会に、これ以上しがみつくのは止めにして、これからは自分のために生きていってはいかがでしょうか。安富さんは、こうも言っています。「(その方が)ヤバい奴らにヤバい力を与えなくて済む」と。