如何ともし難い不条理。そんな連続の人間社会にも、ごくたまに神々しいまでに美しい物語が紡がれることがあります。2009年1月15日、ニューヨーク発シアトル行きの旧USエアウェイズ1549便のハドソン川不時着水事故を覚えておいででしょうか。後に映画にもなった「ハドソン川の奇跡」です。元アメリカ空軍大尉で当時、57歳のサレンバーガー機長をはじめ、 40代だった副操縦士と3人の50代ベテラン客室乗務員全員の見事な連携プレイが、 離陸直後の両エンジン停止による都心部への墜落という悪夢を回避し、機体を破損することなくハドソン川へ着水して乗客155人全員の命を守りました。
連携したのは、乗員だけではありません。空港管制の要請により、低高度のためにレーダーから消えた機体を目視でチェックした観光ヘリも、たまたま付近を航行中で、即座に救助に向かった通勤フェリーも、その後を追うように水上タクシーと沿岸警備隊や消防の船が救助活動にあたったのもそうでした。機内の捜索のための潜水要員も警察からヘリで向かい、空気ボンベを外して6mの高さからダイブしたほか、ニュージャージー側からも救助の船が駆けつけたとか。これらのことを初めて私が知ったのは、事故直後の朝日新聞「天声人語」からでしたが、昨日、改めてBSで映画をみて、いまだ興奮冷めやらぬ感じです。
なぜ奇跡は起きたのか。念仏者的には、これこそ「往還回向」というものではないかと思うのです。人智を超えた大いなる力の働きと、一人残らず救いたいという機長の突き上げるような内発がピタッと一致したときに、はじめてみせられる仏の功徳。前者を「他力」といい、後者を「信心」といいます。ハドソン川で奇跡が起きたとき、そこには「忖度」も「人種差別」もありませんでした。あったのは、ただひたすらな行動だけ。機長は、既に浸水が始まっていた機体後方まで機内に残っている乗客乗員がいないか2度にわたって確認に向かい、全員の無事を確信して後脱出しています。 折しも今日は、羽田発大阪行き日本航空123便墜落事故から35年めの追悼の日だといいます。