「伊藤さんは、けっこうな案件を抱えていませんか、 裁判沙汰で。こうなってくると、 本人がというよりも周囲にけっこうな集団が頑張っているんじゃないか」。昨日、ジャーナリストの伊藤詩織さんが、新たに起こした裁判について、早速こんな声があがっていました。 これって、どこかで似たような話を聞いた気がしませんか。去年のグレタ・トゥーンベリさんのときも、 国連気候アクション・サミット2019 で16歳の少女が訴えるなんて、陰で大人が糸を引いているに違いないとうまことしやかな言説が囁かれました。
これらは「性犯罪の被害者は笑わない」とか「性犯罪の被害者が実名で名乗りをあげるはずがない」などと同じ、百年一日のステレオタイプ。何より許せないのは、今回訴えられた杉田水脈氏の言動です。昔から、女の敵は女といわれてきたものの、同じ女性を貶め辱め、それが国会議員としての資質を著しく欠く行為であることは明らかで、詩織さんの毅然とした対応は、その他の被害者や女性たちばかりか、この国の国民全体のためにどうしても必要なこと。それは、赤木雅子さんが夫の自死にまつわる「わたしは真実が知りたい」と声をあげた裁判とも重なってみえます。
「名誉男性」とも揶揄される杉田水脈氏やはすみとしこ氏も、仮に伊藤詩織さんが、全くの一般人で、政権とは何の関りもなかったとしたら、誹謗中傷することもなかったはず。近畿財務局で赤木俊夫さんに汚れ役を押し付け、その後ことごとく出世した職員たち同様、何か得することがあるからやっていると言われても仕方がないのではないでしょうか。それに対して、伊藤詩織さんも、赤木雅子さんも、 グレタ・トゥーンベリさんも、やむにやまれぬ純粋な思いは、人の心を打つもので、その勇気こそが、我々にとっての微かな希望。3人のジャンヌ・ダルクを今度こそ我々は、火あぶりにさせてはならないと思います。