気が付けば、いつのまにか蝉の声が聞こえなくなっていて、秋の虫の声が聞こえ始めてきました。気候変動が進んでいるとはいえ、(今のところは)季節が来ればちゃんと届く虫の声に、ほっとさせられるとともに、人間の進歩のなさを情けなく思うことがあります。
この前、書いた伊藤詩織さんの新しい裁判で被告となった内の一人、自民党の現職国会議員である杉田水脈氏は、2018年6月のBBCの取材に対して(伊藤さんは)「 女として落ち度があった 」と断言しています。彼女 (伊藤さん) のいうことを「嘘」と決めつけ、そのせいで加害者とその家族が酷い被害をこうむっていると自身のTwitterなどで発言。さらには、自分にとって都合のいいTwitterに、執拗に「いいね」を繰り返したといいますが、その情熱を本来の役割になぜ振り向けることをしなかったのか。
このtweetを巡って表に現れているのは杉田氏ですが、そこには、同調して伊藤さんを笑いものにしていた、老いも若きも大勢の影が見え隠れしていて不気味でなりません。女が女を、といっても国会議員であるところの女が「 女として落ち度があった 」 と断罪する態度は 「敵の捕虜となる恐れがあるときには、この短刀で立派な最後を遂げてください」と、出征する小野田寛郎さんに短刀を渡した母親の姿とも重なって、地続きの価値観にみえてしまうのはわたしだけでしょうか。そうした価値観の呪縛から夥しい数の若い命を戦争の犠牲にしただけでは、飽き足らず、コロナの時代になってもまだ、彼らに精神の桎梏を強要するおつもりですか。それも、国会議員の先生が。