昨日「低依存」という言葉に触れました。その文脈からいうと、夫の妻に対する依存の話だと思います。とはいえ、妻が夫の経済力に依存せざるをえない状況は、昔も今も変わっていないか、もしかしたらさらに深刻化しているのかも。それは、妻たちのせいではなくて、社会保障ひとつをとっても制度設計上、しくまれたことなので当然の帰結です。わたしが、二人の娘を育てるにあたって「男にぶらさがらなくても食っていける女になれ」といい続けたのは、苦い経験が身に染みていたから。
過度の依存は「隷属」や「共依存」のもとで、いずれも健全とは言い難いこれらの状態に、いったい、どれほどの夫婦や親子が絡めとられていることでしょう。安富歩さんの「生きる技法」という本の中に、「押し付けをしてくる人は、あなたを利用しようと思っているのですから、(略)『きみはこういう人だろ』『きみは〇〇と言ったじゃないか』といった手段によって、あなたに罪悪感を感じさせて、自分に都合のよいことをさせます」とありました。
このくだりを読んで咄嗟に連想したのは、母のことです。と同時に、娘たちから見た自分はどうだったのだろうと思うと怖くなりました。以前、どこかで「自立とは依存先を分散すること」という意味の話を聞いたことがありましたが、この原理を発見したのは、中村尚司さんという方だそうで、60年間考え続けて「自立とは、多くの人に依存すること」というこたえに到達されたとか。それほど長く考え続けるということは、配偶者や、存命であるか否かにかかわらず、特に親からの自立が簡単ではないからかもしれません。