また、有名人が自殺したらしいといいます。いったい、今年に入って何人目なのでしょう。有名人だから大きく報道されるだけで、その陰でどのくらいの一般人が、自死によって命を落としているかと思うと本当に怖いです。わたしには、そのわけを知る由もありませんが、一つだけ言えることは、この世の中が、彼らにとって、「生きていたい」「生きていていいんだ」と思えるそれではなかったということ。
一つ間違えばわたし自身、幼い娘たちを遺して自殺していたかもしれない身ですが、同時に「自死遺族」の苦しみを、これまでの半生を通じて生きてきた一人といっていいかもしれません。わたしの祖母は、わたしが生まれる七年前に、わたしの叔父にあたる当時3歳の男の子の手を引いて電車に飛び込みました。そのとき、わたしの母は15歳。思春期の多感な少女が受け止めるには、あまりにも衝撃的な母と弟の死を、まもなく83歳になるいまも、きっと受け入れ切れていないと思います。
そんな少女が 七年後にはじめて産んだ子どもは、女の赤ちゃんでした。心の傷が、まだまだ生々しかったころに授かった女の子を、彼女が、母親の生まれ変わりと信じても何の不思議もなかったはずと思ってきました。翻って、視線をぐんと引いてみれば、今日ただいまの時代は、明治維新に匹敵するほどの時代の変わり目。インターネットもスマホもないのに、幕末から明治初年ごろを生きた人たちは、田舎の名もない民に至るまで「日本がヨーロッパに征服されて植民地にされるかもしれない」という危機意識を共有していました。さて、いまの時代はどうなんでしょうね。