今日で9月も終わり。9月30日といえば、今年の四分の三が終わる日で、コロナ騒動に翻弄されている間も、ときは容赦なく流れ続け、決して待ってはくれないということを突きつけられる思いです。昔、2代目桂枝雀という落語家がいて、何という演目かは知りませんが、人生をトイレットペーパーにたとえて「本当に恐ろしいのでございます。トイレットペーパーというものは、使えば使うほどどんどん先細りになって太るということはないのでございます」といいながらお客を沸かせていたのを思い出します。
「時間的な制約を生きる」なんていいながら、わたしには、ついつい先送りにしていたことがありました。2年前にUターンした郷里には、幼馴染がいて、彼女は結婚して姓がかわっても、子どもの頃と同じ場所に住んでいたので、また会えるはずでした。一人娘である彼女は、わたしのことを、姉妹のように思ってくれていましたから、お互いどれほど会いたかったか。それなのに、数年、もしかしたらもう少し前から、電話をしても本人が出ることはなく要領を得ません。そのうち、音信不通になってしまい、帰省時に立ち寄っても、いつも留守でした。
ご近所の話では、彼女の夫が亡くなった後、本人も子どもたちも、それぞれが遠くへ片付いたとのこと。たまに、彼女の母親がお掃除に来るからポストに手紙を入れておいてはどうかといいます。長いブランクがあるとはいえ、にわかには信じ難く、この間、逡巡して行動できないままでした。それが、昨日になってやっと、彼女のお母さん宛ての手紙を投函することができたのです。といっても、空家のポストに入れただけではありますが。空家の庭の木の延び様からも、これで手掛かりがつかめるとは思えませんが、それでも、人生の宿題を、ひとつやり終えた気がしています。