「公明は、5年前の住民投票では、反対の立場でしたが、去年、知事・市長ダブル選で維新が大勝したことを受け、賛成に転じました」。ニュースのキャスターにこう紹介されながら、大阪維新の応援演説に駆けつけた山口公明党代表が、熱弁をふるう様子は滑稽というほかありません。その一方で、 世界的にも例のない速さで凋落する大阪が、さらに「大阪都」という幻と引き換えに政令指定都市の座を手放そうというのですから笑えません。 大阪市消滅の危機が迫っています。
近いうちに必ず来る南海トラフ地震が起きたら、大阪は壊滅的とまでいわれていて、そうなれば、一番に犠牲になるかもしれない人たちは、まさか、大阪市がなくなるなんて思ってもいないのです。そのうえ「コロナ」で、それどころじゃないときに、住民投票など行っていいのでしょうか。大阪市民であるわたしの娘は、きっぱり「NO!」といってくれたものの、彼女がこの先、人生の多くの時間を過ごすであろう大阪の行く末が、気がかりでないと言えば嘘になります。
「夏草やつはものどもが夢のあと」は、言わずと知れた芭蕉の名句。往時、俳聖が訪れた古戦場。天下取りの野望は、はかなくも野に敗れ、血と腐肉とが夏草を肥やす肥料となり果てた。そう解釈すれば、あわれにも愚かですが、だれがその愚かさを笑えるでしょう。「大阪都構想」。これしかないとばかりに、ムキになればなるほど人はおろかになるもの。おろかさを繰り返さずには生きていけない人間だからこそ、対話によってものの両面を見得る目を見開かなければ、いつまでたっても進歩がないと思うのです。