朝から重い話題で恐縮ですが、「積年の恨み」という言葉があります。長い年月にわたって積もりに積もった怨恨が、凄惨な事件に発展した実例は枚挙にいとまがありませんし、それが自分に向かえば、自殺や深刻な病気を引き起こすのかもしれません。無理に押し殺した怒りや悲しみは、長い時間をかけて知らないうちに成長し、ある日「怨恨」となって現れることがあります。
一般的な例は、親の遺産相続です。遺産相続なんて自分には関係ないと思われるかもしれませんが、家督相続制度がなくなって久しい今、親の遺産は実家の土地と建物だけ、といった一般家庭ほど争いになりやすいそうですよ。そんなとき、普段は意識もしなかった、例の「怨恨」とやらが顔を出したらどうでしょう。その存在にすら気付かなかった未消化のネガティブな塊が、自分の中に確かにあると知って唖然とするかもしれませんね。
日本人の多くは、いまだに「沈黙は美徳」とか「波風を立てないのが大人のやり方」と信じている気がします。が、いずれにしろ、「未消化のネガティブな塊」を放置するのは危険です。未消化の感情が塊になる前の小まめなクリーニングが本当は必要だったのです。しかし、既に塊ができてしまった場合どうするのか。塊と決別する儀式が必要です。思いのたけを、書いて、書いて、吐き出して、最後に残ったエッセンスだけを持って相手と対決すれば、ひょっとすると、見たことのない境地に達することもあるかもしれません。