1995年1月17日、わたしは二人の子を連れた逃亡者でした。夫の暴力に耐えかね婚家を逃げ出していたからです。そして遭遇した阪神淡路大震災。「身寄りのない土地で、たった一人でどうやって、二人の命を守ればいいのか」と途方に暮れて遂には心のコップがあふれ出した、忘れもしない29年前の昨日はそのはじまりの日でした。
奇跡的な職場復帰は1997年4月のこと。翌5月、今度は衝撃的な事件が待っていました。「奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺害事件」。被害者の少女は娘と同い年で、わたしは捜索隊に加わることとなったのです。当時、地方紙の一面は連日事件を大きく取り上げ、地域の誰もが自分ごととして心を痛めたものでした。
かくして過度の心配性が出来上がってしまったというわけです。そんなわたしに向けられる娘たちの評価は、ときに過酷を極めることがあって悲しいやら情けないやら。せめてこの先の人生は、自分の経験をさらけ出すことで、少しでもひとさまの励ましになりたい。それさえできれば本望です。