かつて、五十代の六年半を過ごしたヒロシマは、わたしにとって特別な土地です。郷里の高松へUターンしたのが2018年でしたからヒロシマを離れてかれこれ6年。その間、これで何度目の訪問になるでしょう。悩んでいるとき、辛いとき、迷っているとき、その時々にこの土地はいつも受け止めてくれるのです。
なぜヒロシマなのかは次の機会に譲るとして、実は娘夫婦との関係で情けない失敗をしてしまい、それがもとで亀裂が入ってしまいました。父親に甘く、母親に厳しいのが、自分を含めた母娘関係の印象ですが、母と娘の双方がお互い素直になれず、よると触るとぶつかってしまう。そんな気がしてなりません。
ただそれは、母だからこそ、娘だからこそ、自分には見えないそれぞれの課題が目についてならないから。こたえは指摘の中にある、というわけです。「言うは易し」とはいえ、素直になれないところを敢えて辛抱強く相手の主張に耳を傾け、ほんの少し歩み寄る繰り返し。これこそが人生を変える手掛かりとここへ来て思えてきました。