もう、ずいぶん古い話だから、そろそろカミングアウトさせてください。
かつて私は、20年近くもDVの渦中にいました。DVは、その形態を変容させることがありますが、少なくとも数年間は激しい身体的暴力を受けていたので、私は子どもを連れて何度となく脱出を試みました。でもうまくいきませんでした。なぜなら、そのころ、私の実家には義理の母がいて、私が送った荷物を当時の私の夫のもとに送り返したり、私の職場の上司が、私の居場所を告げ口したりということがあったから。DV( http://www.gender.go.jp/policy/no_violence/e-vaw/dv/index.html )という言葉すらなかった時代のことでした。
そんな私が、なぜ生き延びることができたのか。振り返って思い当たるのは2点です。ひとつは「助けて」と言えたこと。もうひとつは私には安定した「職」があったこと。私自身の苦難の軌跡は、世間でいう「失われた20年」と、一部時期が重なりますが、この間、有事に私たちが「生き延びることができる可能性」は何としぼんでしまったことでしょう。
生き延びるためには、安定した職が不可欠なのに、今や労働者全体の4割近い人たちが非正規雇用だといわれています。そして、何よりも、生き延びるために大切なことは、孤立を防ぐこと。つまり「助けて」ということなのです。しかし、助けてといえるためには、その声を否定せずに受け止めてくれる人の存在が欠かせません。昨日のブログで紹介したとおり、残念ながら多くの場合、今は
「経験を共有できない時代」なのです。経験しないことは、理解はできても納得することはできません。殺伐とした時代だからこそ「助けてが言える場所」でありたい。Open Dialogue ねんきんカフェの、それは、切実な願いです。
障害年金は、現役世代の方も受け取ることができる年金です。あなたのお困りごとを聞かせてください。
目次