かつて、能登で冬を越した経験から、厳寒の一月に北陸の人が住まいを失うことの意味が、讃岐女のわたしにも皮膚感覚として伝わってくる気がいたします。それを思うと言葉に詰まるのですが、大災害は人々を引き裂くとともに、ときにご縁を結ぶことがあります。
現在、十二歳の姪の父親は外国人で、東日本大震災の2011年3月11日には母国にいました。当時、日本在住の外国人のほとんどが国外退避する中、彼は「日本に行って家族とともに死ぬ」と言って日本を訪れ、同年12月に生まれたのが彼女です。
この度は、わたし自身、連絡先もわからなくなっていた石川県の友人と地震がきっかけで再びつながることとなりました。これを「ご縁の不思議」といわずして何というでしょう。