「歩行禅」という言葉があるくらいで、歩くということは脳の働きと関係が深いようですね。今日は下の娘の誕生日。私が三十で産んだ娘が今日、三十になりました。そんな感慨に浸りながら歩いていたら、何か視界がひろがってきた気がします。
世界史的にも大きな曲がり角となった1990年当時。あれから三十年の時が流れ、その間に日本ではひとつの時代が過ぎ去りました。「平成」というその時代を言い表すならば「前提が覆った時代」といえるのではないでしょうか。そんな中、必死に守ってきた娘のはずでした。
でも、守られていたのはむしろ私の方で、この子がいなかったら今の私はなかっただろうと今日になってしみじみそう思います。「わたしがいるから、だいじょうぶ」。そういって、もみじのようなおててで私の背中をぽんぽんしてくれたこの子が、パートナーとふたりでねんきんカフェを訪ねてくれました。
母としては、三十年後も二人が幸せでいてくれることを願わずにはいられませんが、そのためには、二人が暮らすこの国が健全な国家として機能し続け、二人を囲む人々が目を輝かしていてくれないと困ります。「目を輝かす人」を一人でも増やすために自分にできることは何なのか、と考えながら歩く今日はそんな日です。