――ヤングケアラーと障害年金のあいだにある現実
昨夜、義理の母が亡くなりました。
1939年生まれ。戦後の混乱期を生き、家族を支え、人の世話をし続けてきた人生でした。
ふと、立ち止まって考えずにはいられませんでした。
この人は、
「自分の生きたい人生」を選ぶ機会を、どれほど与えられていたのだろうか。
不幸だったと言いたいわけではありません。
ただ、そこにあったのは「選択」ではなく、
最初から決まっていた役割だったのではないか、という思いが残ります。
■「人の人生を生きてしまった」世代
とくに女性に多かった生き方です。
- 親の世話
- 夫の世話
- 子どもの世話
- きょうだいや親族の世話
「それが当たり前」
「それがあなたの役割」
そう言われ続ける中で、
自分の希望、体調、将来設計は、いつも後回しにされてきました。
重要なのは、
やりたくなかったわけではないという点です。
ただ、
「やらない」という選択肢そのものが、用意されていなかった。
これは献身ではなく、
選択不能状態です。
■それは「過去の世代」の話ではない
近年、「ヤングケアラー」という言葉が知られるようになりました。
しかし、この問題を「若者の特殊事例」にしてはいけないと思うのです。
同じ構造は、今も広く存在しています。
- 障害のある子どもを育てる親
- 介護と仕事の両立に追われる人
- 家族の事情で、自分の進路や健康を後回しにしてきた人
年齢に関係なく、
**「自分の人生を生きることが叶わない状態」**は、今も確実に存在しています。
しかも多くの場合、
それは外から見えません。
■「頑張りすぎた人」ほど、制度からこぼれ落ちる
障害年金の相談を受けていると、
強い違和感を覚える場面があります。
本当に困っている人ほど、
- 声を上げる余力がない
- 制度を調べる時間がない
- 「自分がもらっていいのか」と遠慮してしまう
結果として、
人生を人のために使い切ってきた人ほど、制度から遠ざかってしまう。
これは偶然ではありません。
「自己責任」を内面化した人ほど、
支援を求めること自体を自制してしまう構造があるからです。
あまりにも皮肉で、
あまりにも残酷です。
■障害年金は「人生を取り戻すための制度」である
ここで、はっきりさせておきたいことがあります。
障害年金は、
「働けなくなった人のための最低生活費」ではないと思っています。
それは、
- 自分の人生を生き直すための土台
- 家族だけで背負い込まなくていい、という社会からの資源投入
- これ以上、無理を重ねなくていいという制度上の合図
です。
障害年金がもたらす本質は、
お金ではなく、選択肢です。
働く量を減らす。
役割を手放す。
外部の支援を使う。
そうした決断を、
「許されるもの」に変える力があります。
■義母の人生を無駄にしないために
義理の母の人生を、
「人のお世話だけで終わった」と切り捨てたいわけではありません。
しかし、
同じ構造の中で、今も苦しんでいる人がいるなら
その人生を「美談」で終わらせてしまえば、
同じことが繰り返されます。
せめて次の世代には、
「自分の人生を生きていい」と言える社会であってほしい。
障害年金という制度は、
そのための、数少ない現実的な支えの一つだと思っています。
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