「積雪の影響で電車が〇分遅れましたことを心よりお詫び申し上げます。」 何年か前の雪の日に、京王線の車内で流れたこんなアナウンスに違和感を覚えたことがあります。 真冬の積雪という自然の営みにでさえ、東京の人は想定外の遅れを許せないほど不寛容にさせられてしまっているのかと。「想定外」に弱くなったわたしたちが、今回のような想定外の危機に直面したときに、どうやって乗り越えていくのかを考えてみたいと思います。
(新型コロナウィルス感染症)の感染者数2名で推移している香川でも、その2名を特定しようと犯人探しのようなことになっているといいます。このようなことは、きっとどこの県でも、ネット上でも、事情は同じではないでしょうか。そんな中、いよいよ明日にも緊急事態宣言が発令されるのだとか。六十年も生きていてもいまだかつてこんな経験ははじめてです。
一方、政府の経済対策では一世帯あたり30万円の現金が配られるそうですね。とはいえ、これも決してすべての世帯に配られるわけではなく、あの人はもらっているのに自分はもらえないということが起こってくるでしょう。仮に感染や感染による死を免れたとしても、経済的困窮や世の中の混乱がもとで転落してしまうかもしれない不安や恐怖。得体のしれない閉塞感で社会が覆われるという危険な条件が揃いつつあります。
歴史を振り返っても、そのようなときには犯人捜しの行きつく先としてユダヤ人の迫害が行われてきたし、日本でも関東大震災では多くの朝鮮人の虐殺が起きました。感染症に関して言えば、感染源を特定し、経路を追跡することは重要ですが、犯人捜しがエスカレートするとその先に何が待ち受けているかということを予め知っておくことは必要だと思います。つづきはまた明日。