産直市のおばちゃんが思わず後ずさり。というのは「身近な人が(PCR検査で)陽性になった」というわたしの言葉に反応したからでしょう。身近とはいえ、ここ1~2か月会っていないので別に「身近な人」だからといって、イコール「濃厚接触者」というわけではないのですが、今では人が近付いてきただけで恐怖を覚えるむきもあるようです。
ニュースによると、ある病院で一人の医師の感染が確認されたという理由で、同じ病院に勤める看護師が一時、保育園に子どもを預けられなくなったとか。感染症の拡大に怯えるわたしたちにとって、医療関係者の存在は頼みの綱なのに、恐怖の前には理性も効かなくなるあらわれというわけでしょうか。
一方、 南アフリカの貧困地域では地元のギャングが食料を配っているといいます。感染症との闘いで縄張り争いは中止。麻薬を売るのをやめて食料品を届けているそうですが、そういえば日本でも、阪神淡路大震災のときには暴力団が被災者に炊き出しをしたり、救援物資を届けたりということがありました。
親鸞聖人は「わが心の善きて殺さぬにはあらず」とおっしゃっています。これまで人を殺したことがないのは、何も自分の心が正しいからではなく、そうした縁がないから。いつかのブログで、いついかなるときも自分の行動は選べるといった意味のことを書きましたが、それは、あくまでも身の安全が保障されていることが前提なのかもしれません。たとえばパンデミックという「縁」が重なれば、ときに人は、それができなくなるのだということを今、教えられている気がしています。