タイのメディアによると、パーサックという川 の近くに住む人が、男性が飛び込んだらしい音を聞いていて、その後、娘が「私を置いていかないで」と泣き叫んでいたことから、娘も後を追って飛び込んだとみられています。遺体でみつかった男性は40歳。後を追った娘はわずか5歳。 タイでは、新型コロナウイルスの影響で仕事を失う等した人の自殺が相次いでいるのだといいます。
あまりの衝撃に立ち尽くす思いでいますが、このような困窮はタイに限ったことではありません。リーマンショックの頃には日本でも「年越し派遣村」の様子が少しは報道されていた気がするのですが、今回コロナショックでは、貧困者支援の現場の様子がほとんど伝わってこない印象でした。今朝のTVで久々に登場したと思ったら、感染予防のための支援活動の縮小で、被支援者は「今は地獄」と語っています。
生活困窮の人たちを支えているのは、多くの場合、自らの危険を顧みない市井の善意と最前線の行政の良心です。日本もタイも共通しているのは貧富の格差が大きいということ。それは、今回の感染症の症状の出方が人によっては全くバラバラだという事実と同様、「地獄」を共有できないという意味で、見ている世界がそもそも違う分、収束が遅れる最悪を意味します。
そうなれば、今はまだもちこたえている企業も、のんきにしていられる個人も、真綿で首を絞められることになりかねはしないでしょうか。「わたしを置いていかないで」。タイの少女が残した声は、貧困問題を放置したままでの危機の克服はあり得ないという警鐘のように、わたしには思えてならないのです。