お寺に生まれたわたしには当然の感覚ですが、現代を生きる人たちは必ずしもそうではないのでしょう。でも、今でも田舎の旧家へ行けば、そこには仏間に先祖の遺影があったりして、亡くなった人と共に暮らす感覚を多くの日本人は受け継いできたのだと思います。
昨日は、祖母が亡くなって45年目の祥月命日。時節柄もあり、法事を営むわけでもなく、ひとりで祖母の仏前にお経をあげていると、今は亡き祖父母や父の温かで不思議な波動に包まれるようで止めどもなく涙が溢れてきました。
「死者はいなくなったのではなく、死者となって存在している。生者には必ず死者と『出会い直す』時が来る。関係性が変わるんです」。これは、 政治学者の中島岳志さんの言葉です。人間は間違う。だから死者の経験や英知に照らすことも含めて物事を判断しましょうというのが中島さんの立場だと思っています。
「コロナ危機」に象徴される困難を生き抜くにあたり、今は亡き大切な人と肩を組んで一緒に乗り越えるイメージです。何のことかというと「立憲主義」がそのひとつ。現代の政治の数の暴走には、死者の体験や英知が凝縮する立憲主義の歯止めが欠かせません。今こそ立憲主義によって、世界に誇る日本国憲法に命を吹き込み機能させるとき。それが死者と共に生き抜くということだと思います。