3年前、父を看取ったときに思いました。すべての人は弱者になると。若き日の父は、インテリで寡黙、ある種近寄りがたい人でした。人生のラストシーンで父は救急車に乗るのを拒んだそうです。しかし結局は、ICUに入り3週間生き延びて、当時海外にいたわたしにもお別れの時間を十分に与えてくれましたが、そのときの父はあまりにも無防備でした。
今わたしは、血のつながりはないけれどもお世話になった方の最晩年に関わっています。遠方のご兄弟以外に身寄りがなく、今回の新型コロナウイルス感染症で入院していた方です。幸い、重症化を免れましたが、若い回復者でさえ差別や偏見にさらされていると聞いてかなり不安だったのです。待つ人のいない自宅に帰っても、この先の暮らしが立ち行かないのは誰の目にも明らかだったからです。
そして今日、わたしの不安は希望に変わりつつあります。病院の看護師、市の社会福祉士や保健師、そしてわたしたち友人、知人がご本人を囲み、昨日は、ご本人の人生を安全で有意義なものにするための話し合いが実現しました。看護師に社会福祉士に保健師に、現場の若い専門職の情熱に、一筋の光明をみる思いでいます。それは、わたしのめざす、まさにOpen Dialogueそのものでした。