戦争や災害、恐慌などが重なるとき、強いリーダーを求める声が高まることは歴史が教えてくれています。現に世界では「コロナ独裁」の動きもある中、これまで声をあげてこなかった多様な人たちが声をあげはじめた、今の日本の流れが、どうぞ止まりませんようにと祈るような気持でいます。
少なくともわたしの知る限り、企業経営者の政治的発言を耳にした記憶が思い当たりませんでした。それが、今回の「#検察庁法改正案に抗議します」では、たとえ、ほんの一部だとしてもみられるようになったし、元検事総長の松尾邦弘さんも次のように発言しています。
「これまで検察官はあまり意見を言ってきませんでした。いろいろ問題があるならば、検察として、個々の検察官として意見を言った方が刑事司法に寄与する面が大きいのではないでしょうか。」
歴史学者で哲学者のユヴァル・ノア・ハラリさんは、新型コロナが流行する以前から次のように言っています。
私たち人間は選択肢として、
1938年には、ファシズムの物語と、共産主義の物語と、自由主義の物語と、三つのグローバルな物語を提示された。
1968年には、その数は二つに減った。
1998年には、一つしか見当たらないようだった。
そして2018年には、選択肢は一つもなくなっていた。
人間はもともと間違う生き物なのに、選択肢がないとなればなおさらです。権力が過度に集中する、ときの政権もろとも沈没するのがまっぴらなら、さあ、みなさん、ご一緒にのびのびと声をあげましょう。みんなで声をあげれば、怖くないと思います。