窃盗の被害を届け出て世間からバッシングを受けるということはないと思います。それなのに、盗まれたもの(冒涜されたもの)が、個人の尊厳であり、そのやり方が性犯罪という最も卑劣な方法である場合、21世紀のいまになってもなお、加害者には寛容で、被害者には、声をあげることすら許さない社会が続いていることを思い知らされる思いです。
伊藤詩織さんが、自身の性暴力被害について、「枕営業」と決めつけた風刺画を拡散するなど、ネット上の誹謗中傷をした漫画家らに損害賠償請求の訴えを起こしました。あらためて、ではありますが、何より許せないのは、風刺画をみて笑っていた安倍総理のお友だちに現職の国会議員がまじっていること。それは、自らの立身出世のためには他人の生命、財産を踏みにじることもいとわないというメッセージにみえます。
伊藤詩織さんは、被害を知ってから、今回の提訴までに3年もかかったといいますが、いったいどれほどのハードルを乗り越えてあの会見に臨んだのでしょう。自分と同じように、ネット上の誹謗中傷で死に追い込まれた木村花さんや、伊藤さんが誹謗中傷を受けることを自分事として受け止めてしまい、繰り返し傷つく他の性暴力被害者のためにも提訴を急いだとか。
相手が見えないネット上の悪口は「見なければいい」で済まされるものではなく、相手が見えない分、容易に「言葉の凶器」になるのかもしれません。だとすれば、わたしたちがあげるべき声は彼らと同じやり方でネット上の誹謗中傷を繰り返すことではないはず。そうではなくて、風刺画を笑っていた連中が誰だったのかをしっかりと確かめたら、その周辺や、便乗、相乗りを目論む勢力には断じて票を投じないと決めることではないでしょうか。