四国で唯一とされる天皇陵が香川県にあります。高松市と坂出市にまたがる五色台という山塊のひとつ、白峰にある崇徳天皇の白峰御陵です。いったい何十年ぶりになるのか、昨日、夫とともにこの御陵を訪ねました。小学校の歴史の教科書に出てくる「保元の乱」に敗れ、讃岐に流された崇徳天皇は、 その後、土地の国府役人、綾家の娘との間に1男1女をもうけたといわれます。亡くなったわたしの祖母の里が、その綾の末裔だったご縁で小学6年生の夏休みの自由研究で発表した、あのとき以来かもしれません。
崇徳天皇は、その生まれから既に不幸であったといわれ、怨霊伝説の主人公として知られます。でも、彼が残した歌からは 悲嘆の感情はうかがえても怨念を抱いていた様子はないとされていて、何らかの政治利用のために「怨霊伝説」が捏造されてきただけかも。そんな空想をしながら、ぼんやりと山の景色に溶け込んで時のたつのを忘れると、日常の文脈がリセットできる気がします。
歴史は常に勝った側の歴史であり、多くの文学は男性の側のそれであるかもしれません。ましてや、1年で価値観が変わる今の時代、他者の自分に対する評価に何の意味があるだろうとすら思えてきます。崇徳天皇の呪いの言葉とされる 「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」。この言葉の真意は知る由もありませんが、読みようによっては世界観の大転換を伴うような、今の世界が熱望するスローガンにみえなくもない気がしてきます。