ゆうべは、なかなか寝付かれませんでした。コロナ騒動の陰で、東京で餓死者が出たという話や、わかに路上に放り出される人が急増しているという様子が脳裏を離れなかったからかもしれません。いま、路上生活を余儀なくされているのは、 幅広い年齢層の人たちで高齢者ばかりではないと聞いて、そこまでではないけれども、わが人生で最も辛く苦しかったころがよみがえってきました。
長い、長い間、当時の夫の暴力に苦しみぬいたわたしが、やっと離婚できたのは長女が大学に入るころのこと。養育費は1円ももらえませんでした。わたしは娘たちに「世界中、どこに放り出されても、男にぶら下がらずに食っていける女になれ」と言い続けてきたので、長女が海外の大学へ行きたいと言い出した時には、どんなことがあっても「行かせてやらなければ」とそれだけでした。
実の兄弟からも「身のほど知らず」といわれ、郷里を遠く離れた土地で女手ひとつで娘には仕送りを続けていましたが、そんな折も折、当時の小泉構造改革で人減らしが進んだばかりか、公務員であるにもかかわらず残業代は不支給、給料は減る一方で食べるものも切り詰め、文字通り、爪に火をともす思いとはあのことだと思います。それでも、なぜか親に泣きつくという考えは思いもつきませんでした。
その後、過労がもとで深刻な病気になったわたしは、のちに一念発起。自らの問題意識と生き残りをかけて社会保険労務士になったものの、いま、わたしがこうしていられるのは、今の夫のおかげであることは間違いありません。「男にぶら下がらずに」と自分にはできもしないことを娘に言い続けた自分が恥ずかしいといえばそのとおりです。
いまのところは、たまたま人間らしい暮らしができているとしても、「離婚」「病気」「退職」などを機に転落する人はたくさんいると思います。ましてや、コロナにはじまる新たなウイルス感染症や、大地震などの自然災害がやってくると言われる、そんなときに人々の生存権よりも経済効率性を優先する候補者を選んだらどうなりますか。
ちなみに、ホームレスの人の投票権はどうなるのだろうと思って検索したら「 この人たちにも投票できる制度を設けてほしい。」とあった一方「 税金も払わず、義務も放棄した人間に日本の政治について語ってもらいたくない」との書き込みがありました。でも、本当にそうでしょうか。このままこの構造的不条理を放置すれば、導火線に火をつけるように弱い順番にいずれはみんな同じ運命をたどる、わたしにはそんな気がしてなりません。かつては、みんな周囲の助けなしには一日も生きられない赤ん坊だったことを、そして、いずれ再び弱者となって死んでいかねばならないことを思い出してほしいものです。