昨日のブログで「 何とも因果な国民性 」といいました。でも、どうやら「矛盾が集積しているはずの場所でなぜ変革が起きないのか」というのは、この国だけの 課題 ではなさそうだと、宮台真司さんのお話を聞いていてそう思いました。いわれてみれば「現状維持」は、生命の本能で、不条理とはいえ社会秩序が固定していて全体が見通せる安心感は何物にも代えがたいかもしれません。
でも、だからといって、多様な発言を抑え込もうとするのは、ルール違反。絶対にやってはいけないことだと思います。この間、ネット上の誹謗中傷で命を落とす人が出たり、訴訟が起きたり。今回も、都知事選で山本太郎さんのボランティアとして奔走し、当選予測をしていた人が叩かれていると聞いては、黙っているわけにはいきません。自分にとって都合が悪かったり、自分の期待通りにならなかったからといってイチイチ攻撃していたら、怖くて誰も発言できなくなるじゃありませんか。
いまでさえそうなのに、もっとそうなったらどうしますか。現状維持が本能だといっても、進化しない生命は絶滅してきたでしょう。こんな時代だからこそ、人々の声を聞き、失敗を総括し、明るい未来に向けて柔軟に対応する新しいリーダーが求められているのに、その芽を摘み取ってしまうことになるとしたら?安倍晋三さんや小池百合子さんを生み出しているのは我々の側で、我々は積極的に「変わらないこと」を選んできたことになります。現に、
GDPが日本より低いイタリアの災害被災地では、災害発生から3日以内に家族ごとのテントと人数分の簡易ベッドが設営され、避難所ごとに温かい食事が提供されると言います。その一方で、(昨日のブログでは、25年と書きましたが、)実際に日本で最初にあの雑魚寝方式の避難所ができたのは関東大震災後だそうで、100年間変わっていないというのですから、旧日本軍当時の大本営発表と今の「緊急事態宣言」や「東京アラート」に大差がなくても頷けますよね。