今朝、蝉の初鳴きを聞きました。今日の高松では、梅雨明けのような青空が広がり始めています。それにつけても心痛むのは豪雨災害の被災地のこと。2年前の西日本豪雨で被災した自治体では、災害ごみの処理だけをとっても丸2年かかったそうです。 今回は、九州を襲った豪雨の影響で、熊本県沖の八代海に「漂流ごみ」が大量に流れ込んでいるといいます。豪雨の後の10日間で回収されたごみの量は、3年前の九州北部豪雨時の4倍超なのだとか。
リアルな洪水ばかりか、情報の洪水が日々我々を飲み込んでいるというのに、今どんな災厄が差し迫っていて、どの地点に我々は立たされているのか、それを指し示す正確な情報はみつかりません。たとえば、東京都が発表する新型コロナの新規感染者数をまともに信じている人がどのくらいいるでしょう。 そうでなくても生活の苦しさが増す中、豪雨や地震や火山噴火などの懸念に加え、目には見えない感染症の脅威が迫りくるにもかかわらず、正確な情報がない不安は少なくないはず。
NHKのカルチャーラジオで興味深い放送がありました。「先人に学び、未来を考える」と題した、歴史家で作家の加来耕三さんの講演です。内容自体は素晴らしく、何度も聞き返したくなるものですが、わたしにはひとつだけ気になることがありました。それは、 加来さんが講演の中で「世界に類のない巨額な借金を抱え、日本国の財政が破綻に向かっている」などと連発していることです。話の構成上、最初にそうした悲観的な前提が必要であることは理解できます。
しかし、この点は、専門家の間でも意見がまっぷたつに割れていて、世界的にみても財政破綻論が説得力を失いつつある中で、何も知らない庶民に諦めを促し、判断を誤らせる結果に繋がりはしないかと心配です。もともと同調圧力が強いこの国では、活字になったり、電波にのった情報を、みんな無条件に受け入れてしまいがちですから。不安の海をやっとの思いで生きていれば、何か大きな力に身を委ねたくなるのが人情でしょう。しかし、自分の人生を誰かが代りに生きてくれるわけではありません。講演の中で加来耕三さんご自身が語っているとおり「こんなときだからこそ、立ち止まって人生を振り返る」には「財政破綻論」の眉唾をまずは疑ってみることが大事かもしれません。