4連休に入り「京都ALS安楽死事件」が大きく報道されています。大西つねきさんの(真意ではないにせよ)「命の選別」発言や、 新型コロナのワクチン争奪戦を巡る米政府高官の言葉 が報じられた直後だっただけに、この問題の波紋の広がりはこの先避けられないのではないでしょうか。そうでなくても2016年には「 相模原殺傷事件」が起きていて、障害を持つ人を取り巻く環境の悪化が進んでいたところでした。
京都の事件で亡くなった女性と同じALS( 筋萎縮性側索硬化症 )の 舩後靖彦参院議員は 「死ぬ権利」よりも、「生きる権利」を守る社会にしていくことが、何よりも大切と コメントしています。重度の障害や高齢のために、人の介助なしには生きられない方たちにとって、この流れはどんなに恐ろしいでしょう。インターネット上などでは「自分だったら同じように考える」とか「安楽死を法的に認めてほしい」などの反応が出ているといいます。 人々のこうした反応は、世の中の実態がそういわせているだけで、どんなに重い障害があろうとも、どんなに年齢を重ねようとも、自分は生きていていいと思える社会なら、また違っていたかもしれません。
新聞の報道が本当なら、京都の事件で逮捕された医師の一人は 元厚生労働省の医系技官で 「高齢者は見るからにゾンビ」などとネットに仮名で投稿し、安楽死法制化にたびたび言及していたのだそう。 人は、いずれ「老」「病」「死」を迎えますが、仮に、そのとき人為的に新陳代謝される世の中になってしまったら、いったい誰が希望をもって人生を生きられるでしょうか。亡くなった京都市の女性は、まさか、自分の死がこれほどの衝撃を社会に与える結果になろうとは思ってもみなかったかもしれませんが、彼女の死を無駄にしないためにも、やるべきことは安楽死の法制化ではなくて、誰もが生きていたいと思える社会をつくることだと思います。