昨日のブログを読んだ母が「スイスでは自殺ほう助が認められていて、安楽死することができる」と話してくれました。母の知り合いで、そのシステムによってご自身のお母様を亡くしたスイス人の方が、日本でお坊様になられたとか。うっかり忘れていましたが、そういえば、以前、母から既に聞かされていたことでした。調べてみるとヨーロッパの数カ国やアメリカの数州では合法化されており、スイスのある団体では外国人の安楽死を受け入れているとありました。
3年前の4月にわたしは父を亡くしています。お彼岸の頃に倒れ、持病の心臓病の悪化によるものだったので、そのままいけば、ほとんど苦しまずにあっさり逝けたかもしれなかったのです。現に父は、救急車を呼んでくれるなと末の妹たちに厳しく言っていました。当時、わたしは海外に、上の妹たちは東京在住ですから、悩んだ末に末の二人が、本人の意思を押し切ってICUに入れたのでした。結局、父は3週間生き延びて6人の子どもたちに、十分なお別れの時間を与えてくれました。ICUから出た後、一時は意識もはっきりして、特にわたしにとっては宝物のような言葉をいっぱいもらった珠玉の時間でした。
しかし、その一方でたくさんの管につながれる様子は痛々しく、しだいに苦しむ姿をみるのは身を切られるようで、主治医が「持続的深い沈静」という緩和措置を勧めてきたときには、踏み切れずに逡巡。そんなわたしたちをまるで見かねたように、まもなく父は自然に息を引き取りました。あとでわかったことに、あのときの 「持続的深い沈静」 こそが、日本の緩和医療における安楽死に代わるものだったのです。
「耐え難い苦しみから解放してあげたい」一心で、この緩和措置に同意する家族が多いとはいえ、実際には「自分たちが殺してしまった」と後悔し、精神障害を起こす遺族もいるとか。前述のスイス人の方も、お母様の「死」の矛盾に納得がいかず、国を捨てて日本で仏道を選びました。安楽死が合法化されている国では、徹底的な討議を重ね、むしろ今回の「京都ALS安楽死」のような事件を防ぐためにこそ法律ができたそう。いずれにしても、今の日本には、ハードルが高すぎて、 想像しただけでも「国家に貢献できない」という理由で多くの障害者を安楽死させたナチス・ドイツの悪夢が脳裏をよぎるのはわたしだけでしょうか。