三日続けて「京都ALS安楽死事件」関連の投稿となりました。この事件を受けて、自らの言葉の影響力も顧みず、いかにも安易に尊厳死に対する議論を呼びかける松井大阪市長の発言はいかにも軽い。その反面、それぞれに自身の経験をまじえながら、真剣に意見を述べるのは悪いことではないと思っています。これまでなら、こうした事件が起きたとき、その全容が正しく報道されるというよりは、闇から闇に消えていった印象なので、今回、容疑者の妻によって容疑者本人がうつ状態にあり、死にたい人の気持ちに共感しすぎたのかもしれないという事情がより直接的に公表されるのは個人的には歓迎です。
逮捕された医師のうちの一人である大久保容疑者の妻は、元衆院議員とのことで早速記者会見を開いていますが、妻が一般人だったらこうはいかなかったでしょう。一方、大久保容疑者自身は、かつてドキュメンタリー番組の取材に応じていて、その人となりの断片をみることができます。今回は「ALS」という病気が前面に出ていますが、容疑者らは「高齢者を『枯らす』技術」を執筆していて、考え方の根拠として社会に対する貢献度合いや医療費や年金などの財政論があったことは否めないかもしれません。
事件の報道からまだ数日ですから無理もありませんが、気になるのは、れいわ新撰組の舩後議員以外、高齢者も含めて当事者の声が全く聞こえてこないこと。加えてこれまで積み上げられてきたはずの「生存権」や「尊厳死」の議論に触れる発言が見当たらないことです。わたし自身、ある意味当事者だからいえることは、「死にたい」という気持ちも時間の経過とともに移り変わるということ。そして「死にたい」と思っているときには、財政論など、社会のお荷物という圧力を跳ね返せないということ。松井大阪市長の軽すぎる発言をはじめ、当事者抜きの議論は、いいかげんご勘弁いただきたいものです。
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