新型コロナウィルスの全国の感染者数が、昨日一日で1301人と最多を記録したとか。今月、16日に東京大学先端科学技術研究センターの児玉龍彦先生が、国会の閉会中審査で訴えた「来週は大変なことになります」「来月は目を覆うことになります」が、いよいよ現実のものとなってきています。悲壮感さえ漂わせ、児玉先生が、必死の思いで声をあげた、あの日の感染者数は全国で334人でした。
それでもPCRの検査数はいっこうに増えず、当の総理は雲隠れ。野党や東京都医師会は、ただちに国会を召集するよう求めていますが、 安倍内閣は、かつて、臨時国会の召集の求めに3か月間も応じなかった実績があります。先月、那覇地裁で 「違憲と評価される余地がある」との判決が出ているとはいうものの、今回、総理が応じるかどうか。問題は、だからといって安倍内閣の支持率が急落するとは考えにくく、医師会が「これが最後のチャンス」と叫ぶ声をよそに、台頭するのは吉村人気に便乗した与党補完勢力の維新ばかりなりという現実です。
ここまで書いてきて、今世紀初頭のアフガニスタンを思い出しました。「テロとの戦い」という濡れ衣でアメリカの空爆を受け「タリバン」が崩壊した後、暫定政権が樹立するまでの間の無政府状態。もちろん、その実態がどのようなものであったかは想像でしかありませんが、無政府状態とは、地震などの大災害によって行政機関が一時的に壊滅状態に至った際にも、被害の規模に応じ、全国的または局地的に陥る事があるとされています。
だとすれば、巨大地震の発生が近い将来確実視されているこの国では、今後繰り返し、こうした状態に陥る可能性があるのかもしれません。そう考えれば、我々の側にも、昨日と同じ生き方をしていていいのかという疑問がわいてくると思います。利権に対する批判の声は弱めてはならないものの、それぞれが、生き方を見直す以外に真の解決は望めないところまで、本当はとうの昔に来ていたのだと思います。新型コロナは、そのことを気付かせてくれたに過ぎません。