「一番怖いのは人間を喪失すること」。戦争を体験した人の言葉は重いです。「ヒロシマ」や「ナガサキ」が、国内では被害の歴史として語り継がれ、アメリカでは、原爆の投下は早期の戦争終結に欠かせなかったと語られることが多く、当時の広島や長崎には、米兵捕虜がいて、味方が落とした原爆がもとで、 彼らが 命を落としている事実を、アメリカ政府が公式に認めるには、戦争が終わって四十年もの時間がかかったといいます。
広島の平和記念資料館には、3,500枚以上の市民が描いた原爆の絵が保管されていて、そこには原爆投下直後の米兵が描かれているものが含まれていますが、それらは、いずれも、少なくとも日本人の手によって辱められ、なぶり殺しにされた無残な姿でした。市民が描いたのは、彼らが「原爆で」死んだのではなく、「原爆が引き金となって(爆発した日本人の怒りによって)」殺された事実。このことを知って以前のブログでも書いた関東大震災時の虐殺事件が思い出されます。
関東大震災発生直後の虐殺事件の加害者は、官憲のみならず自警団に加わっていた一般市民だといわれています。原爆投下直後のそれが誰だったかは、わかりませんが、生き残った人の証言によれば、一般の日本人らしく、少なくとも被害者らは、裁判にかけられることもなく「一方的に」「寄ってたかって」という表現が相応しい殺され方をしたことは否めないでしょう。「人間を喪失する」とは、まさにこのことだと思います。
自分を含め人間の愚かさを、これでもかと見せつけられる日。それが「8月6日」であり、「8月9日」な気がします。今から半世紀ほども前の夏の日に、家族で広島平和記念資料館を訪れたことがありました。当時、小学生だったわたしや妹は形容しがたいほどの衝撃に、高熱を出したり、小児喘息の発作を起こしたり。今になって思えば、あのときのわたしたちが恐れたものこそ「人間喪失」だったのかもしれません。失敗を認めるどころか、いまだに事実を捻じ曲げるこの国の態度を思えば、冒頭の、アメリカ政府の四十年は、決して長い時間ではない気がしています。