人間とは誠に厄介なもので、きっかけさえあれば、いつでも、どこでも、簡単に、構造的な暴力に絡めとられてしまうものですね。東京都内に暮らす男性が、墓参りなどのために青森市の実家に帰ったところ、帰省をとがめる匿名の投げぶみがあったというのです。男性は、帰省前に2度、自主的にPCR検査を受けており、陰性を確認した上での帰省だったとか。たとえ、そうでなかったとしても、これから帰省者が増えるタイミングですから冷静になってほしいものです。
手書きで匿名の 「投げぶみ」には、「なんで東京から来るのか」「さっさと帰って」「皆の迷惑」などと書かれています。今回は投げぶみで済んだものの、これがエスカレートすると夜中に放火されることだってあり得るのかも。社会不安や人々の行き場のない怒りが鬱積する度毎に、集団的迫害を受けてきたユダヤ人受難の歴史は、ナチのホロコーストに始まったものではありません。近年の「在日特権を許さない市民の会」によるヘイトスピーチも、 昨日書いたアメリカ人捕虜の虐殺も 小中学生のいじめも構造は同じだと思います。
増税で庶民の暮らしがひっ迫していたところに、コロナや災害が次々にやってきて、社会不安が起きていますから条件は十分に揃っているといえるでしょう。投げぶみの主の気持ちはわかりますが、その正義感こそが破滅的な結果を招くことを押さえておかないと、とんでもないことになると自戒を込めてそう思います。集団の妄念が生み出すスケープゴートを虐め、いっとき溜飲が下がったとしても、比較にならないほどの後悔と自責の念が残るばかりか、それだけでは済まないことがあります。本当の解決を望むのなら、暴力の構造に足をすくわれて「分断」をひろげている場合ではないと思うのです。