わたしの役所時代、先輩の女性にこんなことを言われた覚えがあります。「あんたは、ええよな。どこか遠い、四国で生まれたのに、結婚して関西に落ち着いて、いらんかったら別れて、また、次の人と再婚して」。わたしだって、何も好きでそうしたわけではなく、そうならざるを得ないご縁だっただけでしたが、彼女はこうも続けました。「わたしなんて、ずっとこの肩に「家」というものを、どっかりと背負っていて、そんなわがままは許されなかった」と。
何の話をしているかというと、昨日の続きの「立場主義」の話。あのとき、わたしにそういった役所の先輩は、実は、男の子のいない家の二女でした。安倍晋三さんという人は、父である安倍晋太郎さんの、3人の男の子のうちの二男です。先輩の姉は「婿養子なんて死んでも嫌」といって嫁に行き、晋三さんの兄は「政治家なんて死んでも嫌」といって父の跡を継ぎませんでした。どうやら、晋三さんの本心は、「好きでそうしたわけではなく、そうならざるを得ないご縁」だったようです。
「家付き娘」や「世襲政治家」の悲哀の物語。考えてみれば、かくいうわたしも、代々続く寺に、六十年ぶりに生まれた女の子。7つ違いの弟が生まれるまでは、山寺の二男坊をわたしの婿として養子にもらって跡を継がせると、先代住職である祖父がいっていたのを思い出しました。と同時に、弟が住職を継いだ時のことも。祖父が亡くなったのは、1990年の1月で、「絶対無理」といった父の代りに2年後に住職となる弟が、ちょうど慶應義塾大学を卒業する年のこと。世はまさに、バブル崩壊間近の絶頂期のことでした。あのとき、弟は既に就職の内定をもらっていたのかもしれません。