気が付けば、蝉の声が聞こえなくなって久しく、台風接近のせいか秋風が肌に涼しい今日は9月1日。97年前の今日も、日本海沿岸を北上する台風が関東地方に強風を吹き込んだため、木造住宅が密集していた当時の東京15区では火災が広範囲に広がり、関東大震災による犠牲者の死因は焼死が多かったとWikipediaに書いてありました。東日本大震災以前の日本で、最大規模の被害といわれたこの大震災で、焼死や圧死によらない死を遂げた人物に、香川県丸亀市出身の大杉栄がいます。
丸亀市は、もともと讃岐の国ですが、 19世紀末の郡区町村編制法によりいったん、愛媛県に組み入れられていた時期があったとか。大杉が生まれたのはその頃でした。代々続く庄屋の家系に、軍人の子として生まれ、将来、元帥をめざすつもりで帝国陸軍の軍学校に進みながらも、退学処分となり、外国語学校に入りなおして仏文学を専攻。しだいに社会主義の運動に傾倒していった人。同じく Wikipediaに「明治・大正期における日本の代表的アナキスト」と紹介される彼は、関東大震災の混乱に紛れ、内縁関係にあった伊藤野枝、大杉の甥の当時6歳の少年共々、 扼殺されてしまいます。
これは、日本における「魔女狩り」ではなかったかと思うのですが、大杉に関しては、生まれるのが百年早すぎたという印象です。親戚筋にも軍人がいて、日清・日露の戦争に従軍した父からは、幼少期から折に触れて軍人として仕込まれながらも軍国主義に染まらなかったばかりか、それとは真逆の労働者の側に立った言論を殺されるまで展開するということが、実際にあるという証左。スキャンダラスな一面が大写しにされることが多いものの、仮に、彼が今の時代に現れたとしたら、時代のカオスを解きほぐす一助になったかもしれないという気がしています。