人間の生存本能というものは、ときに理解し難い事態を招くことがあります。1973年8月に北欧のストックホルムで発生した銀行強盗人質立てこもり事件では、犯人と人質のひとりが結婚するに至りました。これは、人質として監禁された人が、恐怖と生存本能に基づくセルフ・マインドコントロールから、犯人に好意を抱くようになってしまったためで 「ストックホルム症候群」 と呼ばれています。
トランプさんの復活宣言に熱狂する支持者や大阪都構想に賛成の大阪市民をみるにつけ、いく分それと重なってみえるのは、わたしの考えすぎでしょうか。この心理は、虐待される子どもの心理にも共通していて、 自分を疎んじる親に不満や憎しみを感じつつも、見捨てられる恐怖心が無意識に、親が気に入る「良い子」を演じさせてしまうといいますから、モラハラな上司の前で従順な部下や、DV夫の機嫌を損ねまいとする妻など、ごくありふれた風景のことかも知れません。
だからこそ、真っ先に虐げられるものほど、虐げる側の張本人であるリーダーを選んでしまう。アメリカにおいても日本においても、それが、いまの現実を作り上げている気がしてなりません。子どもは親を、部下は上司を選べないけれど、本来、パートナーは選べるはず。「府」が「都」になったら豊かになるに違いないなんて、実態も知らずにイメージで選択を誤っては、自分たちを含め、後の世代に有無を言わせず 「ストックホルム症候群」 を強いる結果になりやしませんか。